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「第6回」
4
月曜日。
どまつりの開催まで、あと四日。
どまつりタイアップ映画へのエキストラ出演のために結成された即席ダンスチーム『エビフリモ』は、この日もハードなダンス練習に励んでいた。映画の制作会社が予約してくれた、ダンス用の大きなスタジオ。「セカンドADの堀口芽衣です」と自己紹介をした若い女性が、器用に音響設備を操り、映画のクライマックス・シーンで流れるダンサブルな主題歌を繰り返し再生してくれている。ダンサー総勢45名。映画の中では、ここに、水田智秋をはじめとするプロの俳優が5名加わって踊ることになる。ファイナルのメイン・ステージで。観客役のエキストラも千人は集まるらしい。千人の観客の前で、華やかなステージ照明をバックに踊れる機会など、滅多にあるものではない。参加者全員、練習は真剣そのものだ。体力の限りを使って踊る。踊り続ける。ただ一人を除いては。
「ダイキ! なんでオマエがういろうを食ッテルんだ?」
左端で踊っていたメリッサが、何度目かの曲終わりで叫んだ。
「ダイキ! 汗ヲ掻いていないオマエは、スポーツドリンクを飲ムナ!」
その隣のレイチェルも叫ぶ。突然の名指しを受けた大夏は、スタジオの床に座り、桜味のういろうを頬張りながら、右手でスマホ、左手には良く冷えたペットボトルを握り締めていた。
「でも、オレ、お昼食べてないし」
「練習モしてイナイ男ニ、差し入れヲ食う権利はナイ」
「エース不動産様ニ謝レ、コノ役立タズ」
「そんな……」
エース不動産は、栄を中心に物件の仲介や管理をしている不動産会社で、今回、「少しでも自分たちが栄の地域活性化の役に立つのなら……」と、映画への協賛に手を挙げてくれている。その関係で、今日の練習スタジオでも、入り口脇の長机の上に、『エース不動産様からの差し入れです』というメモと一緒に、ペットボトル入りのスポーツ飲料と、ひとくちサイズのういろうが並んでいる。それに大夏は、他のダンサーたちよりも先に手を出していたのだった。
「ダイタイニして、ダイキ! 貴様、サッキカラ目障りダゾ!」
「ソモソモ、ダイキ! オマエ何デココに居ル? サッサと病院へ帰レ!」
メリッサとレイチェルがそう叫ぶ横で、小料理屋の雪乃ママと、キャバクラ嬢のゆめが、うんうんと何度も頷く。怒鳴られた大夏は、
「ちょっと待ってよ。俺だって、振り覚えなきゃなんだから、動画撮影くらい良いじゃん!」
と、自分のスマホを振り回しながら抗議をした。
「振りの確認なら、そんなにロー・アングルから撮らなくても良いんじゃないかな」
ゆめがボソリと、しかし、スタジオの全員が聞こえる程度の音量で言う。
「いやいや、いやいや、ゆめちゃん。このギプスを見てよ。立って撮るとグラグラしちゃうし、パイプ椅子に座るとちょっと斜めになっちゃうから、床に座って撮るのが一番なんだよ。わかってよ」
大夏は言いながら、右足のギプスと、10針縫ったせいで包帯その他をジャージの中に内蔵して不自然に膨らんだ自分の右の尻を、哀れな声とともにみんなに見せた。彼の前に小銭を入れた空き缶を置けば、熟練の物乞いに見えるだろう。そんなことをゆめは思った。
「大夏くん。どまつりまで、あと四日よ?」
雪乃が、大夏の前にかがみ込み、幼い子供に言い聞かせるような口調で言った。
「どう考えても、大夏くんはもう、どまつりには間に合わないと思うの。だから、大夏くんはビデオを撮る意味も無いし、そもそもここにいる意味ももう無いと思うの」
「踊レないダイキは、モウ仲間ジャナイ」
メリッサが言う。
「ソウ。オマエはタダの期待ハズレ」
レイチェルが続ける。大夏は、半泣きに近い表情を浮かべながら、救いを求めるように、スタジオ内を何度もキョロキョロと見回した。が、大夏と元々知り合いではない残りの40人は、水分補給をしたり、ストレッチをしたり、次の合わせに向けて細かな打ち合わせを周囲としたりしていて、誰も大夏のことは見ていなかった。
ドアが開き、別の映画スタッフが複数人でダンボール箱をいくつも運び込んできた。
「みなさん! 集合してください! 撮影の時に皆さんに着ていただく衣装が届きました! これからサイズの確認をします!」
セカンドADの堀口芽衣が、華奢な体からは想像できないような大声でみんなに声がけをする。ダンボールの中には、一着ずつビニール袋で個包装された衣装が入っていて、それぞれ着用予定者の名前が付箋で貼られている。金色をアクセントにした煌びやかな和装に、可愛らしいエビの尻尾が付いている。この尻尾が付くことになった経緯が映画の中では大事なシーンらしいのだが、エキストラ扱いの大夏たちは映画の決定稿を事前に貰えないので、詳細はわからない。
「この衣装で問題無く踊れるかどうか、各自で確認してください。動きにくい箇所がありましたら、至急こちらで直しをしますので」
芽衣の声は良く通る。顔も地味だが、良く見ると可愛く整っている。すっぴんとしか思えないような薄いメイクも大夏的には好みだった。
(智秋ちゃんと出会っていなかったら、俺、芽衣ちゃんに惚れちゃってたかもしれないな……)
そんなことを思いつつ、松葉杖を両手使いして、なんとか大夏も彼女の前に行った。
「衣装、Lサイズで申請しました、広中大夏です」
「え?」
段ボール箱は、既に空になっていた。
「え?」
大夏の中に、嫌な予感が走る。が、彼の衣装問題の結論が出る前に、芽衣の携帯が着信音を鳴らした。
「ちょっとごめんなさい」
そう芽衣は大夏に謝り、電話に出た。
「え……はい……そうですか……はい、わかりました」
電話は短かったが、そのわずかの時間の間に、わかりやすく芽衣の表情は曇った。携帯を切ると、芽衣はスタジオの中にいるダンサーたち全員に声をかけた。
「すみません。今、緊急の連絡が入りました。どまつりの実行委員会の方から、緊急で、皆様にご報告しなければいけないことが起きたそうです」
スタジオ内が少しざわついた。「緊急」という単語を、芽衣は二度も口にした。本当に緊急のようだ。
「とはいえ、この人数全員は、どまつりさんの会議室には入りきれません。皆さん、元々5人ずつの組でオーディションを受けられていたと思います。なので、その5人からお一人ずつ、代表の方だけ、今からどまつり実行委員会さんのビルの大会議室までご移動をお願いします」
「チームの代表?」
「はい、どなたか一名」
ちなみに、大夏たち5人のチームのリーダーはメリッサとレイチェルである。なぜか、このチームだけは二人リーダーということになっている。が、メリッサは、口をへの字に曲げてこう言った。
「ワタシ、カラダがダイナマイト・ボディだから、衣装のチェックを先にシタイ。会議はパス」
レイチェルが腰に手を当ててこう宣言した。
「ワタシ、もうスコシ、ダンスのフクシュー必要。本番近いカラ妥協はノー。会議はパス」
それを聞いて、ゆめが笑顔で大夏を見た。
「大夏くん、良かったね。みんなの役に立てるチャンスが出来たよ」
「え?」
「今から、大夏くんが私たちのリーダーってこと。やったね、リーダー。格好良いなあ。あ、どまつりさんの会議室には水田智秋ちゃんもいたりして。だって、緊急、なんでしょう? ますます、やったねやったね」
言いながら、ゆめは大夏をハグした。そんな大夏の背中を、雪乃が優しくポンポンと叩いた。それでリーダー変更は決定だった。
5
男には土地勘があった。
それでも男は、犯行前に下見をすることにした。
まず、アパートの周囲をゆっくり二周し、防犯カメラなどが増えていないことを確認した。それから、アパートの裏側の小さなドアに、南京錠などがかかっていないことも確認した。いざとなれば、簡単に乗り越えられる高さだが、目立つ行動はしないに限る。
犯行にかかる時間は、ほんの数秒だ。
日没前後の暗くなり始めの時間で、誰もがそれなりに慌ただしく、それでいて誰かに顔を覚えられるリスクが下がる頃が適当だろう。
右手をポケットから出し、数秒後にまたしまう。それだけで。
そして立ち去る。
騒ぎになる前に素早く立ち去る。
通りを右に。百メートル先に缶飲料の自動販売機。横に缶とペットボトル専用のゴミ箱がある。そこに「凶器」を投げ込む。「凶器」はとても小さい。パッと投げ込めば、誰も気が付かない。もちろん、指紋などは付けない。それに……万が一その凶器が後々発見されたところで、警察はそれを凶器と証明は出来ない。その凶器と自分を紐づけることも出来ない。現行犯で捕まらない限り、やつらは何も証明出来ないのだ。
たった百円。
たった百円の投資で、あの生意気な女をゆっくり地獄に落とすことが出来る。そう思うと、男はとても気分が高揚した。
最高だ。
どまつりの開催直前というタイミングも最高だ。
悪い方の可能性も、もちろん考えた。
最悪、無関係の人間が死んだりすることもあるかもしれない。
確かに、あるかもしれない。
(だが、それがどうした……)
それより、日没までどこかでゆっくり、イベント前のワクワクを楽しもう。
男は、栄に出た。
灼熱の栄ウォーク街を、松葉杖を両脇に抱えて懸命に歩いている男を見た。足にギプス。不自然に膨らんだ尻も、おそらく怪我をしているのだろう。まだ松葉杖の使い方に慣れていないようで、彼は男の目の前で派手に転んだ。見るからに痛そうだった。男は顔を顰めた。松葉杖の彼は、しばらく芋虫のようにジタバタしていたが、男はもちろん手助けなどせずにその場を去った。