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「第2回」

 

時は少しだけさかのぼる。

その日、名古屋は平年よりやや早めに梅雨入りをした。終日降り続いた雨のせいで、池田公園にもほとんど人影は無く、筋向すじむかいにある古いペンシル・ビルにも夜19時まで来客は無かった。

「はあ……」

時計を見て、広中大夏は大きなため息を吐いた。ドアの外に出て、ノブに引っ掛けてある『広中大夏探偵事務所』の看板を裏返す。看板は『バー・タペンス オープン』の文字に変った。中に戻り、ジャクリーヌ・デュプレのチェロ協奏曲のレコードをターンテーブルの上に置く。

「開店したら、最初に流す音楽は必ずジャクリーヌ・デュプレのチェロ協奏曲にすること」

それが、この店のオーナーであり、今は『広中大夏探偵事務所』の大家でもある高崎順三郎が大夏に出した唯一の 条件だった。理由は今もってわからない。

 

バー・タペンスの昼の空き時間を利用して、大夏が探偵事務所を始めて約2か月。

その間の依頼件数は二つ。

 

えある第一号の依頼者は、タペンスから3つ先のビルの一階にある小料理屋『雪乃ゆきの』のママだった。雪乃は味噌田楽の味が最高だ。そしてママは、妖艶ようえんな美人だった。歳は大夏より一回り上だが、

(この人から『 大夏くん、私と駆け落ちして♪』なんて言われたら、多分俺、ふらふらって一緒に逃げちゃうだろうな……)

などとよく妄想をしたものだ。そんな雪乃のママが、ある日、大夏の探偵事務所に半泣きで駆け込んできた。

「ハナちゃんが!」

「ハナちゃん? お店の看板猫の?」

「ハナちゃんが昨日から帰って来ないの! こんなこと、初めてなの! 大夏くん! ハナちゃんを探して!!」

「! わかった! ママ、俺に任せて!」

店を飛び出し、女子大小路じゅうのビルとビルの間の隙間を探し回った。両手に、ハナちゃんが大好きなマグロの缶詰を持ち、カンカンと打ち鳴らしながら猫の名前を呼び続ける。

が、ハナちゃんは、見つからなかった。

なぜなら、ハナちゃんは、雪乃ママが大夏のところに行くのと入れ違いで、とっくに自発的に店に帰ってきていたからだ。初の外泊の理由は今もってわからないが、事件は最初から解決していた。

大夏は、捜査料として味噌田楽をご馳走になり、購入したばかりの探偵手帳に、

「依頼1件。解決1件。解決率100パーセント」

と書き込んだ。

 

二件目の依頼者は、キャバクラ『舞花まいか』の店長だった。お店のナンバーワン・キャバ嬢であるゆめちゃんが、最近、誰かにストーカーされている気がすると怯えているので調査して欲しいという。ちなみに、ゆめちゃんは、いつ道で会っても笑顔を絶やさない良い子で、その上、さりげないボディ・タッチがいつも多めの優しい子だ。大夏は前々から、ゆめちゃんのことが大好きだった。

「店の前のゴミが毎晩荒らされててさ。それをゆめが、『これ、私のストーカーかも』って言い出してさ。俺はただのカラスだよって言ってるんだけど、ゆめってとっても心配性でさ」

そう店長は言った。

「わかりました! 女子大小路の名探偵、広中大夏にお任せください!」

その晩、大夏は、タペンスの営業後、ビデオカメラを手に、キャバクラ『舞花』の前のゴミ箱を張り込みした。そして明け方、カラスたちがゴミ箱をひっくり返し、中のゴミを散乱させる証拠映像を無事に収録した。

ゆめちゃんのメンタルは回復し、大夏は調査料として、『舞花』1時間無料券を貰った。そして、自分の探偵手帳に、

「依頼2件め。解決2件め。解決率100パーセント」

と書き込んだ。

 

以来、大夏は、ずっと三件目の依頼者を待っている。これまでは月に1人のペースで依頼者はやってきた。確率的に考えると、そろそろ新しい依頼者がこの店にやってきて良い頃のはずだ。

と、カランと、ドアベルが鳴る音がした。客が来た! タペンスの客か? それとも探偵業の依頼人か?

「ダイキ!」

残念ながら、来訪者はどちらでも無かった。やってきたのは、近所のフィリピン・パブ「パリス」のホステスであるメリッサとレイチェルだった。

「ダイキ! 映画ニ出ルゾ!」

メリッサが、鼻からフンと息を吐きだして言った。白いピチピチのミニTにピンクのフレアー・パンツ姿がセクシーだ。

「ダイキ! どまつりニ出ルゾ!」

レイチェルも、鼻からフンと息を吐きだして言った。黒のタンクトップにデニムのショート・パンツ。そのダイナマイト・ボディに大夏はいつも圧倒されてしまう。

「映画? どまつり?」

真夏を先取りしたかのようなふたりの身体を見つつ、大夏が聞き返す。メリッサとレイチェルはオーバーな身振りで両手を広げ、

「どまつりト言エバ映画! 映画ト言エバどまつりダロ!」

「ダイキ、相変ワラズ、バカの極み!」

と、大夏を罵った。

「……あの、全然話が見えないんだけど」

「オマエ、どまつり、知ランノカ?」

「どまつりはもちろん知ってるけど」

『どまつり』とは、『にっぽんど真ん中祭り』の通称で、毎年、夏の名古屋で三日間に渡って繰り広げられる日本有数の大規模な祭りである。国内外から多数のダンス・チームが集結し、地域色豊かな踊りを競い合う。

「そのコタエじゃ50点ダ」

メリッサが「チッ、チッ、チッ」と人差し指を振る。

「今年ノど祭りハ、一味チガウ。ナント、映画ニモナル」

言いながら、レイチェルが偉そうに腕を組む。

「映画?」

「ソウダ。マズ、コレヲ見ロ」

レイチェルが、胸の谷間に丸めて押し込んであった、一枚のフライヤーを取り出した。大夏はそれを カウンターの上で押し伸ばした。そして、読んだ。

「あなたも映画に出てみませんか? 出演者大募集! どまつりを舞台にした汗と涙の青春ダンス映画が制作決定! 主演は……え? ま、まじ? 主演は、水田みずた智秋ちあき!!」

水田智秋は、クール・ビューティ系の演技で人気の女優であり、もう何年も「世界で最も美しい顔ベスト100」に選ばれ続けているような美人女優でもある。大夏は彼女の大ファンだった。彼女のグラビア写真が出る週刊誌なら、それがたとえ大嫌いな週刊誌でも大夏は買ったし、彼女が連ドラに主演した時は、タペンスのカウンターの裏側にタブレットをセットして、仕事中でも必ずリアルタイム視聴した。そのくらいの大ファンだった。人生で恋が一度きりしか出来ないとしたら、その相手は是非とも水田智秋であって欲しい。そう神様に祈るくらいのファンだった。

(水田智秋と、映画できょ、きょ、共演?)

想像しただけで、大夏は興奮で気が遠くなった。

「ココダ、見ロ」

レイチェルが フライヤーの下の方を指差す。

「締メ切リハ、今日ダ」

大夏は聞いていない。

「上手クイケバ、オマエデモ映画デレル」

大夏は聞いていない。

「フィリピンジン、ダンス好キ。ダカラ、フィリピンでもコノ映画、流レルカモ」

「母国ノスターにナルチャンス、来タ」

大夏は聞いていない。

「ダガ、問題がヒトツアル。募集ハ個人デハ無く、チームナノダ」

「5人一組ナノダ。ソシテ、今、ワタシタチハマダ4人ナノダ」

「ダカラ、特別にオマエも入れてヤル。タダノ頭カズトシテ」

「ウレシイか? ウレシイダロ? サ、一緒に映画に出ヨウ」

大夏は全く聞いていない。大夏の脳内では、自分が水田智秋とラブシーンを演じている妄想が駆け巡っている。そして、その妄想に誘導されるように、大夏は呟いた。

「俺、出るよ。映画……」

メリッサとレイチェルは満足そうにうなずいた。会話は実は噛み合っていなかったのだが、三人は誰も、それには気づかなかった。

「俺、絶対に智秋ちゃんの映画に出る!」

大夏は力強く叫んだ。この一言が、彼の大いなる不幸の引き金になるのだが、大夏本人がそれを事前に知る術はなかった。

 

 

 

翌月。名古屋の梅雨が明けた。

男がひとり、とある部屋で、陰鬱な表情でテレビを見つめていた。テーブルの上には、指紋を付けぬよう慎重に作業をした封筒が載っている。中には、脅迫状。これを出すことになるか、それとも出さずに済むか……その答えは、今、男が見つめているテレビが明らかにしてくれるはずだ。

早朝の情報番組。

最初は、交通事故のニュース。次が、為替のニュース。男はどちらも興味が無い。CMを挟んで、中部地方のニュース。かつて教育館のあった栄の土地に「スローアートセンターナゴヤ」というサウナ・飲食・アートの複合施設がオープンしたというニュース。カラフルなロープを主体にしたオブジェが客を出向かえ、奥には、フィットネス・ジムや少人数で貸切に出来るサウナなどもあるという。

(なるほど。サウナは密談の場所には悪くないな)

と、男は考える。これから何度もヤツらと「話し合い」の必要が出てくるだろう。誰にも聞き耳を立てられず、後々に証拠の残らない話し合いだ。サウナなら携帯電話なども持ち込めないし、少人数で貸切ならマスコミの目も警察の目も心配しなくて済む。

が、これも、たった今、男が待っているニュースでは無い。

エンターテイメント関連のニュースが始まる。大きなステージで、大勢の人間が汗だくで踊っている映像が最初に映し出された。

「人気女優・水田智秋さん主演で、毎夏に名古屋で開催される『にっぽんど真ん中祭り』をテーマにした映画の製作が決定し、先日、大規模な地元オーディションが行われました」

アナウンサーが、浮き浮きと弾んだ声で語る。男は身を乗り出してそのニュース画面を凝視した。審査員席に座っているプロデューサー。その横に主演女優の水田智秋。その横にも数人の男。そして大勢のオーディション受験生。映像はテンポ良く編集されており、ダンスのシーンもあれば、受験生たちが審査員に一生懸命自己アピールをする場面も紹介されていた。三十歳前後くらいだろうか。歳の割りに雰囲気のチャラい男が、

「本当に本当に本当に、俺、智秋ちゃんの大ファンなんです」

と、頭の悪そうな自己紹介をしていた。

「ダンスは初心者ですが、俺、死ぬ気で練習します! あと、俺、女子大小路でバーテンダーやってます! 是非飲みに来てください! 女子大小路は、どまつりの会場のすぐ近くです!」

と、水田智秋本人が手を挙げて、そのチャラい男に質問をした。

「そのお店は、何ていうお名前ですか?」

「タペンスって言います! 池田公園のすぐそりゃれありゅます」

若い男が緊張で言葉を噛み、会場にいた全員が大声で笑った。オーディション全体が、お祭りの前夜祭のような雰囲気だ。

「……バカどもが、浮かれやがって。すぐに全員、笑えなくしてやるからな」

男はそう吐き捨てるように言うと、テレビを消して立ち上がった。薄い手袋を嵌め、テーブルの上の封筒を手に取ると、男はそのまま外に出て行った。

 

 

にっぽんど真ん中祭りの実行委員会に告ぐ。

私は、どまつりと、どまつりに関わるすべての人間を深く憎む者である。

今年のどまつりを中止せよ。

中止の決定がなされるまで、私は、どまつり関係者を無差別に襲撃する。

 

 

 

運命の日。

そう書き記すと、少し大袈裟に感じる人もいるかもしれない。

でも、冷静に振り返ってみて欲しい。

「思い返せば、あの日が運命の分かれ道だったんだなあ……」

そう思い当たる一日が、きっとあなたにもあるはずだ。

 

八月初旬。連日の酷暑に人々の気力体力が削られ続けていた、とある夏の夜。

その日が、広中大夏にとって「運命の日」だった。

時刻は19時40分。場所は、バー・タペンスの店内。大夏は無人の店内で独り、ダンスの練習をしていた。どまつりの本番まであと半月。四人掛けテーブルの上にタブレットを置き、店の窓に映る自分を見ながら、懸命に手足を動かす。タブレットの中では、ピンクと黒のレオタードを着たメリッサとレイチェルが、華麗なダンスを踊っている。それをお手本にしているつもりなのだが、どうにも同じように踊れない。

(何でだ? 何が違うんだ?)

映画の地元キャスト・オーディションに合格してから一か月半。大夏は、自己PRで言った通り、連日、死ぬ気で練習をしていた。私立探偵事務所に依頼人が来ないことも忘れ、19時になったらバー・タペンスを開店することも何度も忘れ、とにかく、ダンスの練習をしていた。

「オマエの体ハ岩カ? 岩ナノカ!?」

メリッサの罵声が脳内に響く。

「リズム感はドウシタ? ドコへ忘レタカ?」

レイチェルの軽蔑の眼差しが網膜に焼き付いている。

「ダイキ、人トシテ、アリエナイ動きダ」

「100年ノ恋モ一瞬で冷メルゾ」

「マア、オマエに恋はモトモト縁がナイダローガ」

「無様ダナ、ダイキ。無様の極み」

腰を落とし、両手をあげて、両手をウェーブ、胸を反らせてアイソレーション。同時にステップを踏み、そして、ターン。右足の爪先を左足で踏んで、大夏は体勢を崩した。隣のテーブルに尻をぶつけ、一回転して床にひっくり返って腰を打った。ちなみに、映画における大夏の役どころは、

「水田智秋演じるヒロインと一緒に、どまつりの優勝を目指して頑張るチーム『エビフリモ』のメンバー」

である。セリフは無い。どまつり出場チームは、1チームで50人以上の大所帯なので、智秋など、東京から来るプロの役者たち7人にプラスして、地元のダンス・グループを9組45人がオーディションで選ばれたのだった。

もっとも、オーディションに関しては、大夏は最初から合格を確信していた。何故なら、自己PRタイムで、主演で審査員もしていた水田智秋から直接個人的な質問をされたのは、あの日、大夏だけだったからだ。

(俺は、智秋ちゃんから選ばれた男!)

それを思い出すだけで、あらゆる疲労は吹っ飛ぶ。

(もしかして、智秋ちゃん、俺に一目惚れした?)

さすがにそれは図々しい想像かとも思うが、可能性はゼロでは無い。何故なら、もう一度同じ言葉を繰り返すが、自己PRタイムで、主演で審査員の水田智秋から直接個人的な質問をされたのは、あの日、大夏だけだったからだ。

(これは、既に恋かも)

そんなことを大夏は思う。

(俺のこの想いも恋だし、もしかしたら、既に智秋ちゃんも俺に……恋?)

大夏は雄叫びを上げながら飛び起きた。未来の恋のためなら、こんな練習、何時間だってやってやる。お手本ビデオの再生マーカーを最初に戻し、ダンス冒頭のポーズを取る。と、カランカランと店のドアベルが鳴った。

(あーあ。もう少し練習したかったのに……)

ため息を吐きながら、大夏は来客の方に向き直った。

「いらっしゃいま……え?」

あまりの驚きに、大夏は硬直した。

「え? ええええ?」

ドアを開けて店内を覗き込み、

「このお店、ホームページもないんですね。ちょっと探しちゃいました」

と微笑む女性。

なんと、水田智秋、本人だった。


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