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「プロローグ」

「殺す」

「マジで殺す」

「ぶっ殺す」

これまでの人生で、広中ひろなか美桜みおはこれらの言葉を千回近くは口にしたと思う。

当たり前だが、本当に殺す訳ではない。

キスしようとした男の鼻骨を頭突きで折ったり、押し倒そうとした男の向こうずねをローキックで折ったり、更に階段の上から殴り落としたり、鳩尾への正拳突きで周囲の床を男の吐瀉物まみれにしたこともあった。だが、それらはすべて「殺し」ではない。美桜には美桜なりの「加減」というものがあり、これまでずっとそれを大切にしてきた。だが……

「殺してやる……」

呟いた瞬間、美桜は気がついた。

(私は、本気だ……)

それは、広中美桜の33年の人生で、初めての感覚だった。10メートルほど離れて立っている男。その男を睨みながら、美桜は思った。

(こいつは、殺す。こいつだけは、絶対に、私の手で殺してやる)

この期に及んで、相手の男はまだヘラヘラと緊張感の無い笑みを浮かべていた。

ダッシュで間合いを詰める。右ストレート。男は頭を傾けて避ける。左拳で斜め下から男の顎を狙う。が、それも男は少し背を逸らすだけで避ける。そして、両手でトンと優しく美桜の両肩を押すと、自分もトトトンと軽やかなバック・ステップで距離を取った。

「確かに俺は、殺されても仕方のない男だと思う」

男が、やけに優しい声で言う。

「でも、君に人殺しはさせたくないんだ」

美桜は、男の良い人ぶった物言いに激しい怒りを覚えた。

「クソ野郎はクソ野郎らしく振る舞いやがれ!」

再びダッシュで間合いを詰める。飛び膝。それを躱されると、体を捻りながら男の胸にフットナイフそくとうを叩き込む。が、男は両の掌で美桜の蹴りの柔らかく受け、その蹴りの力を利用してするりと体を入れ替えた。男の笑顔。美桜の頭に血が昇る。ぶんぶんと両手を左右に全力で振るう。男はスウェーとダッキングで避ける。美桜の体が横に流れかける。それを左足で踏ん張り、男の向こう脛に渾身の蹴りを見舞う。男はフワッと飛び、美桜を笑うあざわらうように、後ろ向きに宙を一回転してみせた。

「ちょこまか逃げてんじゃねえぞ、てめえ!」

美桜が凄む。男は困ったような表情をして言った。

「ごめん。君の攻撃があんまり痛そうなんで、身体が勝手に避けちゃうんだ。俺、その……弱虫だから」

そして、付け加えた。

「あ、でも俺のお願いを一つ聞いてくれたら、黙って君に殴られても良いけど」

「あん? お願いだと?」

睨み付けながら、美桜はまた間合いを詰めていく。ここで、この場で、この男の息の根を止めるのだ。殺してやるのだ。辺りを見回す。美桜から左に大股で三歩くらいのところに、小さい弁当箱くらいの大きさの石が転がっていた。

「てめえが私に、何をお願いしたいって言うんだ? ああ?」

言いながら、その石を拾う。右手に持ち替え、ポンポンと土埃りを払う。

「きっと君は怒ると思うんだけど」

「私はとっくに怒ってる」

美桜は、また一歩、間合いを詰める。

「でも、これは、俺の心からのお願いなんだ」

そして、男は、両手を広げて、言った。

「美桜。君を、この手で抱きしめたい」

「ふざけるな!!!」

次の瞬間、美桜は男の顔面目掛け、その石を投げた。


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